パフォーマーの謳歌 Ouka(@performerouka)です。
スケジュール的に夜行バスを使ったら朝時間が出来たのでサクッとブログを書きます!
さて今回はTwitterでアンケートを取った結果、
「生で見る、の新定義」
というものになりました。
前回のブログではまた語学系の記事(自動翻訳の使い方)書こうと予告していたのですが、
まあその辺は緩くあいまいにやっていきますので許してください。
生で見る、の旧定義
生で見るというのは、文字通り肉眼で見る、という意味でした。
テレビ放送ではなく、会場で歌謡ショーを見る。
ビデオ録画ではなく、スタジアムで試合で見る。
媒体を通さずに直接現地で見る、ということですね。
昔は媒体自体がなかったので、生で見る以外はなかったわけですが、テレビやビデオなどの発明によって「生で見ないで見る」が可能になり、生活に定着していきました。
そしてテレビなどの普及によって、生で見る情報量と、媒体によって見る情報量との関係が逆転します。
また媒体の種類や方式も増え、今日ではスマホやタブレット、YouTubeインスタTikTokなどあげればキリがない状態です。
若い世代にとっては、生で見た:動画で見たの情報量の割合は冗談抜きで1:99くらいな気がします。
あめみやたいようを見て気がついた、新しい「生で見る」
20年ぶりくらいに、ぷよぷよの大会に行ってきたときのこと。
大会本編とは別に、エキシビジョンとしてあめみやたいようがテトリスのプレイを見せてくれました。
世界最強のテトリスプレイヤー。
尋常ではない速度で積み込み、どう考えても入らない地形にねじ込みブロックを高速で消していく。
それを対戦相手の画面を見て状況判断しつつ&ライブ配信視聴者からのコメントも見つつ&更には部屋に出てきたリアルゴキブリを倒すためにコントローラーを放棄してゴキブリを倒しつつ行い、マルチ対戦にいる98人の対戦相手を全員倒すという、マンガのキャラクターとしか思えない人物。
テトリス関係ないけど英語と国語が壊滅的なのも魅力。
この前Godをグッドって読んでた。好き。
↓こんな感じ。ねじ込みながら消す(T-spin)で相手におじゃまブロックを送っていく
さて、みなさんは今おそらくスマホか何かでこれを見ていると思います。
僕もスマホやタブレットで彼のテトリスを見ていました。
が、この日、エキシビジョンにて彼がテトリスを始めた瞬間。
会場の大型スクリーンに、彼が超速の積み込みが映し出された瞬間。
うおおおおおお…
言おうとして言ってるのではなく思わず声が出てしまう、そんな声に会場包まれました。
僕は思いました。
「すげえ!あの!あめみやたいおうのテトリスを!生で見てる!」
その2秒後、僕はこう思いました。
「ん?いや違うか・・・?今まではスマホやタブレットで見ていた。今はスクリーンで見ている。どっちも同じ『映像』だよな・・・じゃそうか、これは『生で見るわけじゃない』のか?」
生で見る、の新定義
さっきの
「今まさに!生で見てる!」は主観的で感情的、
「いや冷静に考えたらスクリーンか、生じゃないわ」は客観的で理論的。
どちらが正しいかどうかは置いといて、
生で見ているという感覚を直感的に受けた
のは紛れもない事実なのです。
そして生で見る云々って多くの場合、広い意味でのエンタメやレジャーを見る時に使うでしょう、なので主観的で感覚的でよいのです。
(そうではない場合は肉眼で目視すると〜とか言うでしょう)
新時代の生で見るとは
ライブ感を伴って見ることである。
今は「見る」があまりにも多岐にわたっています。
ライブプロジェクションは?
パブリックビューイングは?
オペラグラスを通すのは?
VRと現実世界を同時に合成して見る複合現実は?
前にお客さんが多すぎて見にくいイベントで、スマホのカメラ起動してそれを上に腕伸ばしてスマホに移される画面を見るのは?
単に肉眼かどうかって問題じゃなくなってるのだと思います。
Sin Limというクロースアップマジシャンは、
大舞台でもカードを使って卓上で演技し、それを背景のスクリーンにライブプロジェクションします。
このスタイルに僕は懐疑的だったのですが、
仕事で一緒になった時に実際に見てみたら、
基本的には映像を見てもらうスタイルでも「私は生で演じている」「お客さんは生で見ている」と感じてもらえる工夫がしっかりされていたのです。衝撃的でした。
どーせ映像見るならYoutubeでも変わらないじゃん、ではないのです。
これからの時代、生で見ることは肉感で見ることとは限りません。
ライブ感を感じられなかった僕は、ガチで泣いた
小学生の頃、親にプロ野球の試合に連れて行ってもらったことがありました。
試合中、僕はこう言いました。
「ねえ、これ、いつはじまるの?」
「・・・いや、もう始まってるよ。試合中だよ」
ぶっちゃけ、生よりテレビで見る方が実況解説やカメラの切り替えなどあって楽しめたのです。
初めてのプロ野球観戦は、何も起こっていないよう感じられ、「帰りたい」とギャン泣きました。
生で見ているのに、テレビで見るよりも、まるでテレビ画面越しに傍観しているようでした。
今思うと、僕がライブ感が感じられなかったことが原因だったのかなと思います。
*プロ野球批判をしたいわけではありません。僕が事前に調べたりして選手の挙動に熱狂できてたら、入り込めていたら違っていたと思います。ライブ感の有無はコンテンツ側にも鑑賞者側にもどちらにもあり得るでしょう。
肉眼で見るかどうかは問題じゃない。
ライブ感を伴い、その世界に入り込んで見るということが、生で見る、なのだと今は確信しています。
もっとも、それを作るのすごく難しいんですけどね、作り手演じ手オーガナイズ手としては。
ただ、今現在それを意識した企画を考えておりますので、
よかったら待っていてください。